隙あらば自分語り

140字では書き切れないあれこれ

戦場のメリークリスマス

 

初めて観たのは、お盆真っ只中の暑い日だった。

一瞬でセリアズに虜になり、David Bowieと出会うきっかけになった映画『戦場のメリークリスマス』。

間違いなく私の人生の分岐点となったはずのこの作品について、今まであまり話してこなかったのは、他の作品と比べて群を抜いて感想を書くのが難しかったからだ。

今年、大島渚監督の作品が国立機関に収蔵される。いったんの区切りがつくこのタイミングで、今更ながら"戦メリ"と向き合おうと思う。

 

※考察や妄想が得意ではないので感想を書くのを避けていたという背景もあり、ここでは大島渚監督が作り上げた『戦場のメリークリスマス』という作品を観ての個人的な感想に留まることご了承願いたい。

 

登場人物・好きな場面について

 

《セリアズ》

何度か話したことはあるが、初めて観たとき、セリアズの裁判のシーンでまだ後ろ姿しか映っていないのに、直感でこの役柄、役を演じている人に心を奪われる気がした。そしてその予想は見事に的中する。ヨノイと同様に、それ以降のシーンはセリアズから目が離せなかった。

上映終了後急いでスマホの電源を入れて、"デヴィッド・ボウイ"と検索したのを覚えている。前から名前は知っていたが、David Bowieとの出会いは実質この瞬間から始まった。そういう意味では、自分の中で裁判所でのシーンが一番忘れられないシーンかもしれない。

 

何番煎じか分からないが、セリアズが出てくる好きなシーンを挙げていきたい。

①"行"の最中に花と饅頭を持ってくるシーン

デヨンへの追悼、日本軍に対しての反抗、ヨノイへのメッセージ、いろんな意味があっての行動だったのだろうが、セリアズがどういう人物なのかが凝縮されたシーンであると思う。

極め付けは、「お前は悪魔か」という問いに対して「あんたに禍いを」と返す。もうすでにこの時点でヨノイからの好意に気づいていて、あえて挑発的な態度を取っているところが、心の余裕の差を見せつけるようで罪な男だな…と思った。

②俘虜たちの前でヨノイにキスするシーン

戦場のメリークリスマス』を語る上では避けて通れないこのシーン。あらゆる解釈が存在するが、個人的には、自分でもはや制御出来なくなった感情に苦しむヨノイを見てられない、救ってやりたい一心だったのではないかと思う。(ヨノイのやっていることは間違っていて、そのせいで処刑されようとしているヒックスリ俘虜長を助けようとしたのは言うまでもない。)

心の底にある弟への贖罪という思いは何があっても揺るがず、戦争という非現実的な場を借りて償い続ける。それがセリアズの芯となっているから、他の軍人とは違った価値観で周りを翻弄していった。この作品において一番複雑な人物は、間違いなくセリアズだろう。

 

《ヨノイ》

融通が利かなくて堅物。最初観たときはそんなイメージを持った。それは今でも変わらないが、作中では誰よりも人間的な部分が見える人物だと思う。

特に好きなのは、ヨノイの穏やかな面が垣間見える「できれば俘虜全員を集めて、桜の下で宴会を開きたかった」とローレンスに語りかけるシーン。この一言で、もし戦時中でなかったらここに出てくる人々の人生はどうだっただろうと考えてしまう。

花を食らい「あんたに禍いを」と言われたとき、脱獄したセリアズと対峙して「なぜ向かってこない」と言ったとき、セリアズと出会ってからいつも辛い表情しかしていない。正体の分からない感情に翻弄されて制御ができなくなったヨノイを見ていると、心を抉られる。

生き埋めにされ瀕死のセリアズの毛髪を刈り取って懐に入れるシーンは、あれがセリアズに出来る最大の敬意と愛を示す行動だったのだろうと思うと、何度見ても涙が出る。

 

《ローレンス》

「個人では何も出来ず、集団になって発狂した」「個人を憎みたくはない」「罪は必ず罰せられなければならないのか」「お前らの信じる神のせいだ」「みんな間違っている」

どれも当時の日本人の価値観がよく分かる台詞で、ローレンスはそれを理解しているが決して受け入れることはしていない。理解し難い価値観が描かれているこの作品を何度も観ることが出来ているのは、戦争のない今の日本で生きている私たちの感情を、ローレンスが代弁してくれているように思うからだ。

セリアズとヨノイに焦点が行きがちではあるが、やはりローレンスという人物が物語の中心であることには間違いない。

 

《ハラ》

ハラという男もまた面白い人物だ。手荒なだけのように見えて、情が深い一面もある。今でこそ誤った価値観ではあるが、青年期からずっと変わらない芯を持ち続けている。観れば観るほど、ハラという男が好きになるから不思議だ。

処刑前夜にローレンスを呼んで、かつての日々を回顧する。俘虜収容所で過ごした時間は戦時中のほんの一時期だったはずだが、なぜ死の直前、最後に会いたいと思った人物がローレンスだったのか。セリアズがヨノイに実のなる種を蒔いたのと同じように、ローレンスとの出会いもまた、ハラにとって大きな意味を持つものだったのだろう。

 

未だに分からない部分

もう何度も観ているが、未だに分からない部分も多い。最大の疑問は、セリアズはヨノイに対して恋愛感情を持っていたのかどうかということ。

ヨノイがセリアズに並々ならぬ感情を持っていることは明らかだが、どうもセリアズは違うように思う。人としての敬意や好意は持っていても、恋愛感情は持っていないのではないか。

 

他人の感想を読んでいると、想いが通じ合っていた派の意見が多くて、どうも納得が出来なかった。セリアズとヨノイが同じ空間にいる時間がそもそも少なかったり、決定的なシーンがないからなのか。この作品は余白が多く、観る者に解釈の余地を与えているが故に、ここだけは未だに分からない。

 

音楽の効果

戦場のメリークリスマスは音楽が素晴らしいよね。」映画の上映前に聴こえてくる会話で何度も耳にした。

坂本龍一さんが手がけた映画音楽。「戦場のメリークリスマス」がここまで観た人々の心を動かす理由は、音楽の効果が大部分を占めているのではないか。

メインの音楽は、一度聴いたらずっと頭に残る。蒸し暑い夏とは正反対の、雪が舞い降り地面を冷やすような音色。

The Seedという単語の入った曲は、ヨノイの心が動いた瞬間に流れている。セリアズと出会ったとき、脱獄したセリアズと対峙したとき、セリアズが息絶えたとき。言葉にせずとも、音楽がヨノイの心を写している。

23rd Psalm。俘虜たちがセリアズへ捧げる讃美歌。ここでいつも泣いてしまう。セリアズはヨノイだけではなく、周りの俘虜たちにも種を蒔いたのだろう。この讃美歌を聴きながら朧げに浮かんでくるのが、弟の歌声だというのがまた切ない。

 

戦場のメリークリスマス』制作秘話

先日、買ったまま放置していた《『戦場のメリークリスマス』知られざる真実》を読了した。かなり読み応えがあったので、特に印象に残った部分だけを覚え書きしておきたい。

 

・『戦場のメリークリスマス』の撮影は異例づくしで、メイキング映像すら存在しない。公式スチールのカメラ以外はスタッフであってもキャストであっても持ち込み禁止だった。

・完全に外界から隔絶されたラトロンガ島でボウイは自由な時間を過ごすことができた。坂本龍一は、ラトロンガ島での撮影が終わってカンヌ映画祭でボウイと再会したとき、全くの別人だったと語る。

・武器に詳しい者を把握するために俘虜全員を集めた際に「貴様ら全員嘘をついている」と病気の俘虜を突き倒すシーンは、坂本隆一のアドリブだった。

・ボウイは舞台版戦メリをやろうと言い出して、女性スタッフだけを集めてラトロンガでの撮影の打ち上げパーティーで披露した。スタッフ曰く、演出がやたら厳しかったそう(笑)。さらにはホテルのバーで坂本龍一と即興でセッションすることもあった。

 

David Bowieにとっても、坂本隆一にとっても、たけしにとっても、1982年〜83年は大きな分岐点となった。ラトロンガ島でほんのわずか時間を共にして、また別々の道へ進んでいく。

撮影秘話、本当に面白かったので是非読んでもらいたい。

 

最後に

戦場のメリークリスマス』は、常に"これはどういう意味なんだろう"の繰り返しである。観終わってからこれほど余韻を引きずる作品はない。だからこそ名作と呼ばれて語り続けられてきたのだろう。

"戦場"という言葉がタイトルに入っているが、戦争はいけない等というメッセージを込めた作品ではないということ。戦時中という極限の状況下における人々の感情に焦点を置いた作品であること。

 

約40年の時を経て、『戦場のメリークリスマス』という作品に出会えてよかった。やっと感想が書けてすっきりした。この作品で感じたことを、これからも大事に心にしまっておきたいと思う。

 

それでは、また次の記事で。